校長室より

五月の言葉「未見の我」

校門から入った所の掲示板に、生徒を元気にする言葉を掲示することにしました。これは、前校長の下山先生が月の始めに行っていたことです。いいことは何でもまねしようということで始めてみました。
五月は、「未見の我」という言葉です。「未だ、見たことのなかった自分を目指しなさい。心は熱く、一生に一度くらい、本気でやってみなさい。必ず達成します。運命を造りなさい。」これは、幕末の賢人を育てた吉田松陰の言葉です。
高校時代は、何にでもなれるという希望と、何にもなっていないという不安の狭間にいると思います。私自身、高校時代これから何にでもなれるという希望とともに、漠然とした不安がいつも心の隅にありました。自分はこれからどんな人生を歩んでいくのだろうか?自分は何に向いているのだろうか。どんな仕事を目指せばいいのか。いろいろ考えると自分自身というものがわからなく、不透明な存在に思えたものでした。
そんな時、ある本で、「未見の我」ということばを偶然見つけました。その本を読んで、今ある自分だけで、自分の将来を考えていないかと思ったのです。私のような人間でも、何かまだ気づいていない自分がいるのではないか?そう思ったのです。運動はあまり得意ではないので、勉強を頑張ってみようと思いました。とことんやったつもりです。でも、人生は思い通りに行かないもので、希望通りというわけにはなりませんでした。しかし、頑張ってみたことで、自分を改めて見つめ直す機会にはなったと思っています。実は、今でもまだ、「未見の我」を探しています。
人は未だ見ぬ自分に出会ったとき、大きく成長するものではないでしょうか。そのことに年齢は関係ないと思います。いくつからでも、何事にも挑戦し続ければ、自分の気づいていない自分に出会うことができるのではないでしょうか。何かに挑戦し成し遂げることができたとき、「自分はこんな能力があったんだ。」「自分は集中して一つのことを成し遂げることができるんだ」など、感動とともに自身のそれまでの秘められた能力に気づくことができます。また、成し遂げられなかったとしても、挑戦したことで、次はこうしょう、ああしよう。あそこを考え直そうなど、新たな気づきがあるはずです。
 これから、君たちは、受験に向かうことになります。受験は、「未見の我」に出会える絶好の機会でもあると思います。受験は、つらく苦しいものですが、それを乗り越えたとき、新たな発見があると思います。それは一回り成長した自分に出会えると言うことです。私のように、失敗ばかりの受験であったとしても、必ず成長はあると確信しています。それは、生きる姿勢により、知識が、見識になり、胆識となるからです。何事にも、前向きに高校生活に全力で取り組んで下さい。
君たち一人一人が、卒業時に、逞しく自信に満ちた未見の我に出会ってほしいと願っています。
(なお、書は、倉澤沙綾先生に書いていただきました。ありがとうございます。)